4500万年前、想像できないほど遠い昔、人類と霊長類動物の祖先である『中華曙猿』は、ここで生命進化の偉大な里程を始めました。ですから、溧陽は『人類の故郷』と誉められています。 紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一し、溧陽は始めて県と建てられて中国で最初の県の一つと成りました。二千年余りにわたって、数多くの英雄豪傑、文人墨客が後人を感動させる物語と忘れがたい詩作をここに残していました。伍子胥、蔡邕と蔡文姫親子、李白、張旭、朱熹、湯顕祖、袁牧など歴代の名人は皆溧陽に足跡か名作を残したことがあります。唐代詩人の李白は嘗て三回にわたって溧陽を訪れ、不朽の名詩を十余り残してくれました。孟郊、仇遠、陳鴻などの名人が長く溧陽に奉職して、治世の業績と佳作の名文を世に残してくれました。宋璟、陸遊などの後人も溧陽にほれ込んで住み着き、代代生息して繁衍しています。 紀元801年、唐代の有名な詩人であり、溧陽の県尉でもある孟郊は、溧陽で人々によく知られている名作の『遊子吟』――慈母手中線 遊子身上衣 臨行密密縫 意恐遅遅帰 誰言寸草心 報得三春琿(慈母手中の線 遊子身上の衣 行くに臨んで密密に縫う 意は恐る遅遅として帰らんことを 誰か言う寸草の心の 三春の暉に報い得んとは)――を残してくれました。この代代の龍の伝人たちによって唱えられてきた名作は、どれほど多くの中国遊子の心を動かしたかも知れませんが、これだけに、溧陽は人々に『遊子の故郷』と呼ばれたわけです。
|